次男出産後の初出勤で思う。〜手放したことで、得られたことたち〜
こんにちは。Hello!
実は、今日は2人目出産後の初出勤。
ちょっとドキドキ❤️
それにしても、電車混んでます…。
妊婦の時に時差通勤していたときは、ここまで混んではいなかったので、現在妊婦の方は大変だろうと思います。
妊婦で仕事に通うのは、本当に大変。
特に初期は、見た目があまり変わらないのに、身体は全然別物のように変化しているから余計に辛い。
つわりがひどいのも一般的に安定期と呼ばれる5ヶ月より前です。
私は何度も電車で気絶したり、
あまりに顔色が悪かったのでしょう、おばあさんが席を代わってくれたこともありました。
本当に感謝です🙏
具合が悪いなら降りたらいいのですが、本当にダメな時は動くことすらできない…。
ひたすら耐える。冷や汗かいて必死。
でも耐えられないときは、そのまま意識を失うこととなりました。
だから、もしそんな人を見つけたら、声をかけてあげてくださいね。
電車は、息苦しくて本当に具合が悪くなるから、コロナで自宅勤務が増えたのは本当にいいことだと思います。
さて、
子供を授かった喜びとともに、諦めなくてはいけないものが沢山あることを知ります。
身体の変化、睡眠、食事、自分の時間などたくさんあるけれど、「仕事のキャリア」もその代表的なものの一つではないでしょうか。
私の場合、結婚の時にも諦めることを経験しました。
同じ部署の夫との結婚は、どちらかの異動を意味し、おそらく90%以上の確率でそれは私だとわかっていました。
直属の女性上司は、それはわからないよ!と言ってくれましたが、やはり異動したのは私でした。
しかも、それは周りのスタッフには当然のことのようで、また当時は夫もそれが妥当だと思っているようでした。
夫は、私の仕事への情熱を理解し、応援してくれていました。
それでも、どちらかが異動となれば話は別です。
夫にもキャリアがあるし、心のどこかで女性が異動するものという潜在意識はあったと思います。
幸い私が担当していたものは、規模が小さかったのと専門的な分野だったため、その仕事も一緒に異動させてもらえました。
本当に嬉しかったのを覚えています。
でも、仕事ごと異動できると分かるまでは、何度も夫に不満を言っていました。
せっかくこれまで打ち込んできたことが、無くなってしまうかもしれない。
それは、私をとても辛く苦々しい気持ちにさせました。
幸いどちらも手にすることができた私でしたが、それでも子供を産むときは休まなくてはいけません。
いつかは手放す時が来る
27歳で出産したとき、
失う怖さと、自分がやらなければという想いに取り憑かれ、
産前休みに入ってからも家のパソコンと印刷機を使い、FAXはコンビニで送りながら結局1ヶ月くらい自宅で働いていました。
今思うと、それをさせる会社もどうかと思いますが、当時の私は自分の仕事に執着していたんだと思います。
毎日会社に出社して、みんなと同じように残業しなきゃ認めてもらえないし、それを失ってしまうだろう。
早く復帰するから、またやらせもらいたい、などと考えたりしていました。
でも産んでみてどうだったか。
私にはすぐの復帰はとてもできませんでした。
だって、出産のあの痛み。
3キロある人間を体から押し出すんです。体の内側が躍動するようなあの感覚は、出産でしか味わうことはできないのではないかと思います。
とにかく衝撃的でした。
そして、翌日はよちよちとしか歩けない…。ohh
体にこんなにも負担がかかるなんて全然知りませんでした。
それに、赤ちゃんを産んでみて、「この子を置いて仕事にいくか」?
私はとても行けないと思いました。
だから、産んですぐに働いている方の気持ちも身体の消耗も計り知れません。
最初の頃は授乳も3時間単位であげなくてはいけないし、ちゃんと息をしているだろうか。などとにかく心配だったのを覚えています。
仕事についての気持ちはどう変わったか。
仕事への情熱は変わらずにありましたが、出産前にしがみついていた執着は消えていたように思います。
必ずしも同じやり方でなくても良いんだと。
この状況で自分の中でできることに情熱を持って仕事をしようと思えるようになっていました。
それに産後の配属先は、予算や実績など全社の数字を管理し、役員会議の資料をコピーして配布する仕事でした。
働いていた会社は、私が最初の子供を産む頃には、たくさんの女性が出産と育休を取得していました。
そう言った点では、とても産みやすい環境だったと思います。
しかし、時短勤務者は現場ではなく事務へ。
という流れは当然ありました。(もちろん全員ではありません。)
そして、私も本社で数字の管理をすることとなったのです。
直属の先輩からの嫌がらせと、苦手な数字の仕事は、私の神経をおかしくさせたのか。
顎が開かなくなる・・・という苦しい経験もしました。
でも、その先輩からも実は多くを学びました。
幸い、1年弱で先輩が異動することになり、私も元々いた部署に近いセクションに戻してもらえることになりました。
その間、私は自分なりにできることを見つけ、新規の企画を上司にアピールするなどして、夫の異動と同時に元の部署に戻ることとなりました。
私がいない間、どのくらい変化があったのか。
実はそこまで変わっていなかったのです。
それにみんなも優しく迎え入れてくれました。
そして新しい取り組みもされていたおかげで、私も昔の殻から抜け出して、新しい視点でもって仕事をすることができました!
以前は誰か別の人が何かやることが嫌だったのですが、(←わがまま〜傲慢な態度ですね)
気にならなくなり、むしろアイディアを出し合い共有できれば、誰かが欠けた時にもクオリティーを下げずに商品を提供できることが大切だと考えられるようになりました。
当然なのでしょうが・・・何もわかっていなかったのです。
結果、執着していた頃よりもより多くの成果を得ることができました。
それは、売り上げだけではなく、仲間ができたことです。
他部署のスタッフとともに、企画を共有し、販売を進めることは、ひとりで仕事をしていた時よりも断然楽しく、やりがいもありました。
自分のチームの予算以外は関係ない、とはとても思えませんでした。
結婚をして、子供を産んで、最初は失うことばかりに目が行っていたけれど、
実際は、以前よりもより充実した仕事環境と情熱、そして自分の使える時間や労力について、俯瞰する力を持てるようになりました。
お昼を食べれずに、走って帰る毎日もありましたが、それもまた思い出。
「デスクで煎餅食ってんじゃねー」部長が怒っていました・・・。
もちろん、それが良い働き方とは言えませんが、でもそれは時短勤務者も通常の勤務の人もかわりませんよね。
残業が当たり前だと思って私も働いてきたけれど、今は「家族で夕飯を囲めないなんて、寂しいな」と思ってしまいます。
また、以前は8時に閉まるスーパーに文句を言っていたにもかかわらず、今では8時までやる必要あるかな?と思ってしまう。
人の意識というのは、これほど変わるものなのだ、自分でも不思議なくらいです。
頭では分かっていてもなかなか理解できないことってありますよね。
執着もまた、一度手放してみなければわからないものだと思います。
決してそれがどうでも良くなって手放すわけではなく、今の自分の生活や優先したい事、それらを統合して、その中で時間と力を割り振ることしか解決策はありません。
「1日は24時間」これは変えることができないですからね。
仕事は、情熱や社会との繋がり、自信や成長を与えてくれます。
でも仕事は、人生の項目の一つであり全てではありません。
心と体の健康を保ち、どう時間を使い、何を選択するか。
自分の人生だからこそ、その選択を大切に、これからも幸せな毎日を送ることができればいいなと思いました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
Thank you!