自分が停滞してしまうこと
停滞してしまうこと。
よく使用される使い方だと、仕事が停滞する。これって、進行していたはずのものが何かしらの原因で止まってしまうこと。
でも、自分が停滞する感覚。
皆さんはありますか?
私は、別の記事でも書いたように半年前から就職活動をはじめ、現在アートを販売する仕事をしています。
本当は、自分でアーティストを支援できるような個人会社を作って、作家さんと共に面白いことをやっていけたら良いと思っていました。
でも、はじめてみるとなかなか難しいことがわかりました。
これまで好きだったはずの美術の業界が、こんなにも狭く、人とのコネクションなしには通用しないのだということを知りませんでした。それに堅苦しくて難しいことが苦手な私にとって実は苦手な業界なのかもしれないとも思い始めました。
何も進まないのです。(つまり違うってことですね。)
前の会社を退職するときには、こういう風になるんだ!
という漠然とした、でも自信に満ちたものがありました。絶対にやれる!と。
でもそれが急になくなって、自分に何があるのか、あのよくわからない自信はどこから来たのか。そんな自分を疑うようになっていきました。
ため息ばかりついて、何か楽しいことはないかと休日は家族を外に誘ってばかりいました。
情熱を燃やせる何かを見つけたいという想いが募るばかりでした。
でもよくよく思い返して見ると、私は意外と停滞を体験していました。
前の会社で長男出産後に復帰した場所は、私が最も苦手とする数字を管理する部署。
ストレスで顎も開かなくなりました。
そして、次に異動した場所でやっと産休に入る前にしていた仕事ができると思いきや、うまくいきません。結局、毎日出社して倉庫を掃除したり、どうしても何もすることが見つけられない時は、仕方なく自分宛にメールを書いて送っていました。
それってすごいことです。
周りのみんなは本当に時間が足りなくて、ヒーヒー言いながら仕事をしているのに、私はただデスクに座っているだけ。
でもとにかく何かしなくちゃいけないと思い、行動を起こしました。
結局それが商品になることはありませんでしたが、その行動をきっかけにもともといた部署に戻ることができました。
そして、その部署で実績を積み上げ、最終的には部をまたいで自分が企画した商品を共有するプロジェクトメンバーとして仕事を任されれるようになりました。
自分を信頼してくれる仲間や共に販売してくれる仲間ができたことは、売り上げ以上に私にとって嬉しいことでした。
停滞しているからと言って、その仕事や考え方が悪いわけじゃない場合もある。
そして今それがうまく進んで行かなくても、急に動き出して目も回るほど忙しくなる時というのは来るものです。
私は今も停滞中。
毎日不安な気持ちで過ごしていますが、「美術をやらなくても良いんだ」その思い込みを自分自身が知ることができたことによってきっと次なる情熱を見つけることができると信じています。
だってそうじゃなきゃ、辛すぎるし、つまらない人生になってしまうから。
念願だった2人目を授かり、2年が経ちました。
きっと神様は、これから来るであろう日々の前に私を休憩させてくれているのかもしれません。
だから誰もフォロワーがいないこのブログに私はメッセージを書いているんだと思います。
かつて、会社でやることがなく、自分宛にメールを送っていた頃のように。
一度自分を入れ替える、そんなところにいるのかもしれません。
別の世界で生きていきたい、それにはこれまで持っていたものを手放すしかないんだと。
これまでに見たことのないものを観じ、情熱を燃やしたい。
前の会社で築いたご縁で私は何かできると思っていました。
きっと誰かが、私のことをひっぱり上げてくれると。
そもそもその考えが間違っていたんだと思います。
自分がやろうとすることで、誰かと出会い、新しい何かが生まれます。
そうやって新しいご縁を築いていけたら嬉しいと思います。
まだまだ停滞中だけど、この時間を決してムダだとは思わずに過ごしていきたいと思います。
道が見えなくても、「そっちじゃない」とか精神的な方向性というのは実はわかっている気がします。
だから、時が経つのを感じながら、自分と向き合っていけばきっと何かできると信じたいと思います。
もしまた情熱を燃やすことのできるものを見つけたら、きっとこのブログに何かを書く時は、次の停滞の時期かもしれません。
そのくらい、動き出したら動いていると思うから。